復活! Coast to Coast 房総半島横断レース

インタビュー1 鈴木裕士さん 房総半島横断レース大会会長

2015年から2018年までの4年にわたり、トレイルランナーに親しまれてきた「Coast to Coast 房総半島横断レース」。 太平洋から東京湾へ、房総半島を東から西へ横断するコース設定がトレイルランナーの旅ごころをくすぐり、2018年には850人がエントリーする大人気レースへと成長した。
ところが、2019年9月9日に千葉県を直撃した台風15号により、房総半島全域に甚大な被害が発生。無数の倒木や土砂崩れにより、房総半島横断レースのコースとなっている登山道や林道が各所でズタズタに寸断された。
当然ながら、生活に直結するインフラの復旧が優先され、公的な登山道・林道の復旧はあと回しになる。
そんななか、山を愛する個人や団体が立ち上がり、自主的なコース復旧活動をスタートさせた。
それから4年。ほぼ全コースの復旧が終わり、いよいよ2023年12月、「Coast to Coast 房総半島横断レース」が再出発の日を迎える。
当記事では、房総半島横断レースの復活に情熱を注いできた皆さんにインタビューしていく。インタビュー第1回は、房総半島横断レースのフィニッシュ地点であり、また「房総鋸山トレイルラン」の開催地でもある金谷地区でトレイル復旧に取り組んできた鈴木裕士さんにお話を伺った。

鈴木裕士

1961年、富津市金谷生まれ。大学卒業後、銀行・旅行会社勤務を経て30歳で金谷に戻り、家業の「富洋観光開発」で現場に従事。2000年同社社長就任、複合観光施設「The Fish」をオープン。金谷ストーンコミュニティ代表(公益財団法人鋸山美術館館長)、金谷観光協会会長、鋸山復興プロジェクト代表、房総半島横断レース大会会長。

◆鈴木さんは、金谷地区の振興を目的に、長年活動されてきたと伺っています。
台風被害前から、地元の金谷観光協会で、山の整備などの活動を続けていました。年に1~2回ぐらい、みんなで雑草を刈ったり、そういう活動はずっとしていました。

◆「金谷ストーンコミュニティ」の活動について教えてください。
金谷ストーンコミュニティができたのは2007年でしたかね。元々は町おこし団体みたいな形でした。鋸山はかつて房州石という石を切り出していた山でしたので、そうした歴史の掘り起こしや石切場の調査をしていました。最初はけっこう幅広く活動していまして、例えば商品開発とか、空き家が増えていたので空き家を整備して活用するとか、そういうことまでやってましたね。

◆登山者からすれば、鋸山は展望がよくて岩が露出しているという、そういう楽しみがありますが、地元の人からすると、鋸山という場所は歴史遺産であると?
金谷では、鋸山から房州石という石を切り出していて、昭和60年まで切ってたんですね。僕くらいの年代の人は、鋸山は石を切っていたということが、ある時代の体験と景観として記憶にありますけど、石切をやめてからもう30年以上経ってますんで、今の方は鋸山で石を切っていたということはほとんどわかっていない事実なんですね。
鋸山は、景観がいいということもあるんですけれども、日本の近代化が強力に進められていた江戸から明治・大正にかけて、鋸山の石が大量に切り出されて、東京湾周辺のいろんな港湾設備や建物、土木工事に大量に使われていた、そういった歴史がある山なんです。ある時代、鋸山の石は日本の発展にすごく貢献したというか、リンクしていた時期があると思います。


石切り作業の様子(写真提供=金谷ストーンコミュニティ)

一方で、現地に残る石切場が、迫力ある景観としてその後の観光とかに生かされる。
30年前にはあまりなかったことですが、今では産業遺産の跡が観光資源になる事例が増えてきていると思います。
鋸山の過去の歴史も、現代の観光の視点から見ると貴重な遺産なんじゃないかということで、そういったものに光を当ててきたというところですね。

◆実際、金谷から鋸山に登るハイカーは増えているんでしょうか?
増えているように感じます。
おそらく10年~20年くらい前までは、鋸山に来る目的というと、やっぱり景観のよさだったと思います。あとは山の南側に日本寺というお寺がありまして、大きな大仏様があったり。
そういったものが魅力ある観光資源として皆さん来られていたと思うんですが、近年は石を切り出した跡地の景観とか、あるいは歴史を見に来て、昔の人の苦労や大変さとか、そういったものを感じながら登る方が増えてきた気がします。
あともう一つは、外国の方も増えている感じがしますね。

◆山頂の景観展望だけじゃなく、途中の歴史遺産も楽しみながらハイキングができる場所だという?
そうですね。一つの山で、産業遺産としての側面、仏教の聖地としての観光資源というような、異なった魅力が一つの山にあるというのも大きなポイントじゃないかなと思います。

◆首都圏にお住まいのハイカーやトレイルランナー、いろんな方から見て、金谷から登る鋸山の魅力はどこにあると思いますか?
この金谷港からも見えますけど、やっぱり海があって、その後ろのように鋸山が屏風のようにそびえ立っていると。金谷の町は非常にコンパクトで、海の近くにいたと思うと、ほんの10分ぐらい歩くと山の中に埋没してしまうような、非常に変化に富んでいる町です。
短い時間で、海の楽しみ、山の楽しみが同時に味わえるという、そこが魅力なんじゃないかと思いますね。

◆2019年9月の台風以降の、登山道を復興させるプロジェクトについてお話しいただけますか?
9月9日の台風15号では、金谷の町も非常に大きな被害を受けましたし、山も今まで経験したことないような大きな災害に見舞われました。


金谷地区も大きな被害を受けた(写真提供=金谷ストーンコミュニティ)

金谷から鋸山へ登る登山道は3本ありますが、すべての登山道が通行不能になりました。それも今まで経験したことないレベルの壊れ方でした。
これまでも、例えば雪が降ると雪の重みで木が倒れて道が塞がれたことは何度も経験してたんですけども、今回の台風は規模的に、そういうものの10倍以上の被害があったということですね。

台風の直後は、水道が約2週間、電気も2週間近く止まりました。そういう状態でしたので、まずは自分たちの生活再建が優先でしたが、ある程度生活が復旧してくると、次は「山はどうなってるんだ?」っていうことになりまして、実際行ってみたら、登山道はひどい状態でした。上から行っても通れない。下からいっても通れない。とにかく全容がつかめない状態でした。
そういう状況下、現地把握しようということでみんなで登りましたら、まあ、倒木と土砂崩れ、そういったもので、非常にものすごい状態でした。 どこから復旧に手をつけていいかわからない状態だったんですが、そんななかでも、行くたびに倒木がチェーンソーで切られていて、歩ける道が少しずつ広がっているようなことが起きてたんですね。
これ、誰やってんだろう?って思ってたんですけれども、実は、鋸山に年間何回も登りに来ている山の愛好家の方が少なからずいらっしゃいまして、そういう方たちが、山を愛する気持ちから、登山道の復旧を少しずつやってくれてたんですね。
これに私たちは非常に感激しました。
私たちは、「鋸山は地元で守らなきゃいけない」っていう意識が強かったんですけど、そうじゃなく、山を愛する人って地域のほかにもたくさんいるんだなって気がつきました。
ある時、そういう方たちと会う機会がありまして、山の復興を一緒に手伝いますよというお申し出をいただいて、そこから「鋸山復興プロジェクト」という活動がスタートしたんです。
当然、マンパワーも必要なんですけど、素人だけでできる仕事はやっぱり限られます。土砂崩れクラスになるとやっぱりプロ仕事になるので、お金も必要になってくると。
じゃあ、クラウドファンディングを立ち上げて資金を募ろうじゃないかということで、立ち上げました。
ボランティアの方と山に入って行なうボランティアレベルの復興と、クラウドファンディングで資金を集めてプロに頼む仕事と、両軸でうまく組み合わせて活動しました。


鋸山登山道の被害の様子。倒木が折り重なり、足の踏み場もない状況だった


「鋸山復興プロジェクト」の活動に集まってくれたボランティアの皆さん


活動中の鈴木さん(写真提供=金谷ストーンコミュニティ)

最終的に行政が「安全ですよ、通っていいですよ」っていう宣言を出すまで、ちょうど台風から4か月でそのタイミングを迎えることができました。当初はほんとにいつ開通できるかという感じでしたが、かなり短期間で開通させることができました。
それの一つの目標になったのが、毎年12月に開催している「房総鋸山トレイルラン」というレースでした。それになんとか間に合わそうじゃないかというのも一つの大きな目標になりました。
結果、台風被害の9月から、3か月後には山を通れるようになって、例年どおり大会を開くことができました。
トレイルランの関係者の方たちも一緒になって山の復興に取り組んでくれましたし、そういった方たちの支えがあって、山の復旧が一気に進んだということですね。

◆一方、房総半島横断レースのコースのうち鋸山より東側のコースはどのような状態でしたか?
そちら側については私自身は具体的にあまりタッチはしてないんですけど、鋸山同様に、房総の山全体が経験したことのない大きな被害を受けました。
そちらのほうは千葉県の山岳会の皆さんがボランティアで少しずつ少しずつ、通れなかった道を復旧してくださいました。
被災から4年がたちます。当初、房総半島横断レースの再開は10年以上は無理じゃないかって言われてたんですけど、いよいよ今年12月に再開できるまでになったということで、それはやはり、千葉県の山岳関係者の皆さんの努力があってのことですね。

◆トレイルレースの開催は、金谷にとってどのような役割があると思われますか?
レース開催は、ある種のお祭りだと思うんですよ。
金谷に同じ目的で1000人近くの人が集まるっていうことは、この大会以外にはあまりありません。この金谷にこれだけ多くの方が集まってくださるのは、町のイメージアップに大きいですし、経済効果もそれなりにあるし、非常に象徴的なイベントだと思います。

◆近年、金谷への移住者が増えていると聞きますが、何が魅力だと思われますか?
いろんな理由があると思うんですよ。
東京湾フェリーの発着場があったり、交通もそんなに不便ではないというところも一つあると思います。東京から直線距離で60㎞ぐらいですから。公共交通機関だとそれなりに時間かかるんですけど、車だと1時間ちょっとで都心まで行けます。
都会から近場でありながら自然も残っているというところで、ちょっと移動すれば、もう別世界に行けると。
あとはやはりこの景観でしょうかね。海があって山があると。
房総はどこでもそうなんですけども、その房総でも、これだけ至近距離の中にいろんな魅力が詰まってる場所はそうはないと。そういうところが魅力じゃないかなと思います。

◆最後に、トレイルランナーの皆さんへメッセージをお願いします。
大会をきっかけに、皆さんが大会以外でも訪れてくれるような場所にしたいというふうに思っています。
それから先ほど、「金谷の魅力」という話もありましたが、そうは言ってもこの町も、過疎化や少子高齢化が非常に進んでいて、外の皆さんから見えている実情とはちょっと違う感情を、我々住んでいる者は持っています。
地域や山や大会を守っていくためには、我々住民だけでなく、多くのボランティアの方たち、支えてくれる方たちがいて初めて可能になると思います。
山を利用されるトレイルランナーの皆さんやレースに出場される皆さんには、自然はただ単にあるわけじゃなくて、そこを守ってくださる人がいて初めて維持されているということを感じながら、走っていただけると嬉しいなあと思います。

インタビュアー
宮崎英樹(マウンテンスポーツ同志会)
−取材日6月1日−

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